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子育てについて
Rくんの成長。号泣する10歳
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予想外の効果!『オンライン療育』

室内の様子

集団療育ルーム・個別療育ルーム・お庭にカメラを設置しています。普段のお子さんの様子が保護者のスマホから見ることが出来ます。お子さんの成長をそっと見守ることが出来ます。

児童発達支援・放課後デイ
『Family はじめのいっぽ』とは

『Familyはじめのいっぽ』では1日の療育活動の中に“集団療育”と一人一人の発達段階に合わせた“個別療育”を取り入れています。0歳〜18歳まで途切れることのない継続した支援で成長発達を促します。
0歳~年少までは午前に親子通所、年中・年長は午後からお子さまだけで通っていただけます。生活の中で取り入れられる療育や保護者の悩みも一緒に考え、共にお子さんの成長を見守っていきます。

プログラムについて

「集団療育」での活動と一人一人の発達段階に合わせた「個別療育」を取り入れて段階に合わせたお子様の成長発達を促します

0歳から取り入れられる早期療育『ダウン症児の赤ちゃん体操』や理学療法士による身体面の発達促進のアドバイスが可能です

数の認識や算数が苦手な子どものための安曇野算や、ことばの教室での知的面の促進も促していきます

保育・教育・医療・福祉等の経験があるスタッフが、様々な角度からお子さんの成長をお手伝いします

こんなお悩みに

  • 産まれてすぐや検診等で障がいがわかり、自分を責めてしまう
  • 周りになかなか理解してくれる人がおらず、疎外感を感じてしまう
  • 今、何かできることはないだろうかと、ネットで調べるが、多すぎる情報に右往左往してしまう
  • 近所に0歳から通わせられる療育施設がなく、県外の施設まで通っていて大変
  • 子どもとの関わり方や、生活全般のコーディネートや、相談にのってくれる相手がおらず辛い

\Family はじめのいっぽにお任せください/

Familyはじめのいっぽは、0歳から通える療育施設です。個別療育で一人一人と向き合いながら、18歳までの継続的支援を行います。

またこの施設は、障がい児の親の想いから立ち上げました。不安や悩みを分かち合い、その子それぞれの幸せな人生のあり方や、家族の向き合い方も、一緒に考えていきましょう。

『Family はじめのいっぽ』
始まりのきっかけ

運営者自身が障がい児を育てていて、 『こんなのあったらいいな』を実現するために 子どもの療育的支援と親の支援に重きを置いて 何歳になってもいつでも帰ってこられる場所として 寄り添える療育施設を作りたいと思い 『はじめのいっぽ』が出来上がりました。

息子を通じて早期療育が子どもにとって
良い影響を与えることを実感しています。

管理責任者 上田亞弓

こんにちは。
代表の上田です。私には2人の子どもがいます。
上の子が、自閉スペクトラム症の診断を受けています。
今は2人とも小学生になり少しずつ自分の時間が持てるようになってきました。
主治医から高学年になれば少しおちついてくるよーという言葉は本当だったなと今思います。

息子が2歳になる頃から、行動に疑問をもつようになり自分から市役所の保健師さんへ相談に行きました。とても珍しいケースだと思いますが、早めに相談に行き療育施設に3歳になってすぐに通えることになったので、息子にとって出来ることが多くなり保育園にスムーズに入園することが出来たなと思います。

2歳の頃は、手や服が汚れるのが苦手で少しぬれたりすると丸着替えをしたり、新しい場所には降りられないので4歳近くまで抱っこの日々でした。
小さい頃は何か問題が起きる(こだわりから出来ない事)とあれこれ試してみてやっと解決策が見つかった矢先新たな問題が出てきて、またあれこれ試して。と一定のサイクルで問題が出ては解決策を見つけの日々でした。あれこれ試しているときは、ゲーム感覚で楽しみながらやっていましたが3歩進んでは2.5歩戻るの繰り返し。毎日があっという間に過ぎていました。
外から見ると定型発達と変わらないので、周りからの些細な言葉に傷つき、凸凹発達にメンタルがついて行かなくてよく1人で泣いていました。

保育園に入るころから、言葉も出て出来ることも増え、私自身も強くなり出来た喜びで涙することの方が多くなりました。成長することの方が多く保育園時代は本人にとって自信に繋がることが多かったと思います。
でも小学校に進級すると0からのやり直しです。慣れない環境に戸惑い、朝の通学に足が止まります。学校まで一緒に通学し少しずつ少しずつ一緒に行く距離を縮めて行きました。
学校では、普通級に通っていましたが自分が落ち着くまで机の下に潜りなんとか環境に慣れていきました。3年生の夏に急に玄関から1人で元気よく登校していき、今では振り向きもせず登校していきます。
思春期に入った今、周りとの関係や、自分の感情との付き合い方に戸惑う姿が見られます。
何歳になってもその時その時の問題が出てきます。でもちゃんと本人と向き合い、一緒に考えることで少しずつ、本当に少しずつ成長していくんだなと昔を振り返って思います。

私がFamilyを立ち上げたいと思ったのは、早期療育をする事が子どもにとってとても良い影響を与えることが息子を通じて実感していること、そして親の心のケアが一番大切だということ。そんな施設が身近にあり、長く継続した療育を受けれる場所をつくりたい。
日頃の些細な、「こんなのあったらいいな。こんなこと出来たらいいな。」という想いを形にしたのがFamilyです。
一緒に子どもの成長を喜び、悩みを共有し、将来に向けていっぽずつ進んで行けたらと思っています。

母親も、家族も安心して生活できる環境をつくりたい!!
そんな場所が『Family』です。

運営責任者 林倫代

はじめまして!!
私には、今年10歳になる長男と7歳になる次男がいます。次男には、ダウン症があります。その次男がきっかけとなり、2年前から、代表の上田と共に描いてきた事業所が、この夏、ついに!!OPENです。

 夏・・・夏産まれの私にとって、夏は“大好きな季節”でした。しかし、7年前、“大好きな夏”が“苦しい夏”へと一変したのです。なぜか?!そう、ダウン症をもつ次男は、2014年の“夏”に、私のもとへやってきました。

次男は、出産直後から、異常が見つかり、大学病院へ搬送。その日の夜には、医師から“ダウン症の可能性”を告げられました。私は、ほとんど、眠れぬまま翌朝を迎え、私とは別の病院へ入院中の次男の面会に主人と出かけました。面会先で、新たな病気が見つかり、そのまま転院に・・・。その病院の帰り道、主人と『私たちは、次男のことを“可愛いと思えるのかな?ちゃんと我が子として愛せるのかな?”』と涙したのを鮮明に覚えています。
 結局、生後2か月程は、病院へ入院し、手術や治療を受けた次男。私は、毎日のように面会に行きました。余裕がある日は、朝から晩までの面会、今思えば、次男のことが可愛いからというよりも、そうしていないと、不安で仕方がなかったから、必死で時間を埋めていたように思います。そんなこんなで、『二人目の育休は、満喫するぞ〜』と決め込んでいた私に、思いもよらない日々がスタート、一夜にして、目の前の世界が変わってしまいました。

 NICU・GCUから退院した次男と、夏の終わりに自宅での生活がスタート。まだまだ手がかかる2歳の長男と昼間は3人。たった、60CCのミルクを飲むのも、1時間以上かかる、腸の病気も併発していたため、おむつ替えも頻繁。おまけに、長男には、寂しい思いをさせていたのか?長男の登園しぶりも重なり、描いていた育休生活とは、真逆な生活でした。このころは、「なんで私だけ?」という気持ちがいっぱいでした。

 そんな生活のなかでも、徐々に次男への愛情は湧いてきて、「この子のためにできることは、できるだけやってあげたい」という気持ちへ変化していきました。地域の親の会へ参加したり、インターネットで有益な情報を調べたり・・・次男には『早期療育が大切』ということが、分かりました。ただ、ダウン症のある次男にとって良い療育をうけさせようとすると、自宅から遠方に通う必要がありました。通い始めの頃は、私も気合が入っていましたが、徐々に通うことが負担になってきました。時間をかけて通っても、思うような成果が得られない日は、特に落ち込みました。そんな時、『自宅近くで、こんな療育が受けられたらどんなによいか・・・次男はもちろん、長男との時間もとれるし、私の負担もなくなる。家族みんなにとって、良いのにな〜。』と思ったのです。そんな思いを心に秘めているとき、代表の上田と出会い、同じ障がい児を育てる親同士、意気投合しました。しかし、すぐに上田と語った事業所づくりが、現実化したわけではありません。

両親の助けもあり、次男1歳半で、私は仕事復帰をしていました。もちろん次男の子育ては、相変わらず大変でした。3歳ごろまでは、入退院も多く、毎日必死。そんな中湧き出てきた思い…『障がいや病気をもつ児童の医療や福祉サービスの調整、保育園への入園手続きなど、母親一人にかかる負担が大きすぎる。』当時、私は、社会福祉士、主任ケアマネジャーとして、主に大人の障がい者、要介護者の在宅生活のお手伝いをしていました。そんな私からすると、障がい児の在宅生活って、生活全般をコーディネートしたり、相談にのってくれる相手がいない、母親一人で情報を集め、必死になって右往左往することがほとんど、そんな印象でした。そこで、湧き出てきた思い『こんな世の中を変えたい。障がいをもつ子も、その母親も、家族も安心して生活できる環境をつくりたい!!』今の職場に満足はしていたけど、次男のおかげで、40歳半ばにして、新たな『夢』を抱きました。そんな私を見抜いていたかのように、上田が『本気で、事業所を作ろうよ!』と背中を押してくれました。
そこからの2年間、『どんな時も、いつでも、帰ってこられる場所』を作ろう!!“家族”“ふるさと”のような、何かあった時、楽しい時も、悲しい時も、つらい時も、帰ってきてホッとできる居場所・・・だから、ベタですが、『Family』と名付けて活動してきました。

この7年間は多くの方に支えられ、協力していただき、今があります。次男を授かったことで、見えた世界…悪いことばかりでは決してなく、素敵な世界を見せてくれています。
 そして、2021年の夏、私にとって“大好きな夏”が復活しました!!記念すべき第一号の事業所『Familyはじめのいっぽ』がOPENする“夏”です!!